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オリジナル本編は2019年に完成し、2020年クリーブランド国際映画祭でワールドプレミアされたが、コロナ禍で本国アメリカでの劇場公開は見送られた。その後、2021年1月22日核禁止条約が発効され、ICANにとって大きな前進となった。 そしてこの核禁条約が発効されたその日の映像をスーザン・ストリックラー監督が撮影、4月17日(土)の日本公開に向けて、急遽1分45秒の映像を追加編集した。 4月17日(土)日本公開初日は、世界初公開となるこの映像を含めての劇場公開となる。核廃絶というゴールへ向けて世界はいままさに「終わりの始まり」というスタートラインに立った!というリアルタイム感が凝縮された映像を加えた映画を鑑賞するとともに、観客は今回の舞台挨拶で、サーロー節子と同じ時間を共有しその声を聴くことになる。 サーロー節子は在住のカナダ トロントから、竹内道は本作の全国公開を前にニューヨークから来日後、実家で自主隔離中の福岡から、スーザン・ストリックラーは在住のアメリカ コネチカットからZoom参加となる。舞台挨拶は初日17日の10:30初回上映前、10:00からスタートする。(イベントは急遽変更になる可能性もあります)
サーロー節子は広島女学院生徒だった13歳で被爆し、300数名ものの学友を瞬時に亡くした。後にカナダ人と結婚、トロントに移住し国連や国政会議で被爆者としての体験を世界中の人々に語り伝え続け、条約の推進に貢献してきた。 映画は節子の力強い生きざまを追うとともに、本作のプロデューサーである被爆二世でニューヨーク在住の竹内 道が、節子と出会い自身の真実を見つける旅が並行して描かれる。偶然にも広島女学院の卒業生であった二人の距離が縮まり、節子に励まされて、道は自分の家族の被爆の歴史に目を向け始め、広島赤十字病院初代院長時に被爆した祖父や入市被爆した母の語らなかった体験を少しずつ発見していく。被爆二世としての自身を見つめなおしていく道の姿を節子の活動と並行して描いていく構成により、原爆も核廃絶問題も、世代を超え年代を超え国籍を超え、我々が過去もこれからもかかわっていくべきだと観るものに訴えかけてくる。
撮影は、原爆投下から70年が経った2015年、ニューヨーク国連本部におけるNPT(核不拡散条約)会議の会場から開始された。その後、広島、トロント、オスロと、節子の活動の場を追ってカメラは世界を駆け巡る。そして、2017年12月、遂にICANがノーベル平和賞を受賞。凍るように寒いオスロでの授賞式には、ICANの一人として、そして何十万の被爆者の声を代表して受賞スピーチを行い一語一語力強く訴えかける節子の姿があった。竹内 道と共同プロデュースも出がける監督ストリックラーは、アメリカのネットワーク・テレビにて、ドラマのプロデューサー、そして、監督を長年つとめ
アメリカ監督賞(DGA)また、デイタイム・エミー賞を受賞している。
映画内で節子が語る被爆体験は、リアルで凄惨を極める。日本人の我々でさえ改めて原爆の恐ろしさ、非人道性に恐怖と怒りを新たにするが、核兵器を政治的均衡、国際間パワーゲームの道具として認識している多くの欧米人の心を動かしたのは、こうした節子の悲しくも生々しい言葉だったのだ。
なぜ、被爆者サーロー節子(旧姓中村)と被爆2世竹内 道はともに
広島からそれぞれトロント、ニューヨークへ行かなければならなかったか?
唯一の被爆国である日本に生まれた日本人として、我々は何を知り、何を知らないのか?
そして何をなすべきか?
あらためて突きつけられるさまざまな問い。
まさに「今こそ観なければならない」ドキュメンタリー映画であるといえるだろう。
『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』は 4月17日(土)より東京ユーロスペース他 横浜、川崎、大阪、京都、神戸、名古屋、広島、福岡、札幌など 全国主要都市で公開が決定している |
オリジナル本編は2019年に完成し、2020年クリーブランド国際映画祭でワールドプレミアされたが、コロナ禍で本国劇場公開は見送られた。その後、2021年1月22日核禁止条約が発効され、ICANにとって大きな前進となった。
そしてこの核禁条約が発効されたその日の映像をスーザン・ストリックラー監督が撮影、4月17日(土)の日本公開に向けて、急遽1分45秒の映像を追加編集した。映像は、ニューヨーク深夜の国連ビルにサーロー節子の顔、続いて「2021年1月22日、核兵器は常に非人道的、今日から違法」という文言が英語と日本語で投影されるシーンからスタート。オーストラリア、ドイツ、エチオピア、ネパール、ベルギー、カナダ、ニューヨーク、広島など核禁条約発効を願ってきた世界中の人々が歓喜する姿、「最終目標である核廃絶まで条約批准国は増え続ける!」という節子の力強い言葉をバックに核禁条約に署名した86か国名が羅列されて終わる。
その86か国に日本は含まれてないという事実が余韻として残ると同時に、核廃絶というゴールへ向けて世界はいままさに
「終わりの始まり」というスタートラインに立った!というリアルタイム感が、
1分45秒のなかに凝縮された映像となっている。
サーロー節子は広島女学院生徒だった13歳で被爆し、300数名ものの学友を瞬時に亡くした。後にカナダ人と結婚、トロントに移住し国連や国政会議で被爆者としての体験を世界中の人々に語り伝え続け、条約の推進に貢献してきた。
映画は節子の力強い生きざまを追うとともに、本作のプロデューサーである被爆二世でニューヨーク在住の竹内 道が、節子と出会い自身の真実を見つける旅が並行して描かれる。偶然にも広島女学院の卒業生であった二人の距離が縮まり、節子に励まされて、道は自分の家族の被爆の歴史に目を向け始め、広島赤十字病院初代院長時に被爆した祖父や入市被爆した母の語らなかった体験を少しずつ発見していく。被爆二世としての自身を見つめなおしていく道の姿を節子の活動と並行して描いていく構成により、原爆も核廃絶問題も、世代を超え年代を超え国籍を超え、
我々が過去もこれからもかかわっていくべきだと観るものに訴えかけてくる。
撮影は、原爆投下から70年が経った2015年、ニューヨーク国連本部におけるNPT(核不拡散条約)会議の会場から開始された。その後、広島、トロント、オスロと、節子の活動の場を追ってカメラは世界を駆け巡る。そして、2017年12月、遂にICANがノーベル平和賞を受賞。凍るように寒いオスロでの授賞式には、ICANの一人として、そして何十万の被爆者の声を代表して受賞スピーチを行い一語一語力強く訴えかける節子の姿があった。竹内 道と共同プロデュースも出がける監督ストリックラーは、アメリカのネットワーク・テレビにて、ドラマのプロデューサー、そして、監督を長年つとめ
アメリカ監督賞(DGA)また、デイタイム・エミー賞を受賞している。
映画内で節子が語る被爆体験は、リアルで凄惨を極める。日本人の我々でさえ改めて原爆の恐ろしさ、非人道性に恐怖と怒りを新たにするが、核兵器を政治的均衡、国際間パワーゲームの道具として認識している多くの欧米人の心を動かしたのは、こうした節子の悲しくも生々しい言葉だったのだ。
なぜ、被爆者サーロー節子(旧姓中村)と被爆2世竹内 道はともに
広島からそれぞれトロント、ニューヨークへ行かなければならなかったか?
唯一の被爆国である日本に生まれた日本人として、我々は何を知り、何を知らないのか?
そして何をなすべきか?
あらためて突きつけられるさまざまな問い。
まさに「今こそ観なければならない」ドキュメンタリー映画であるといえるだろう。
『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』は 4月17日(土)より東京ユーロスペース他 横浜、川崎、大阪、京都、神戸、名古屋、広島、福岡、札幌など 全国主要都市で公開が決定している |